公式サイト: http://www.syria-movie.com
シリア内戦の初動と祖国を想う男女の往復書簡。これは、“愛”についてのものがたりである
【終了日:8/12(金)】
【原題】Ma'a al-Fidda
【監督】オサーマ・モハンメド,ウィアーム・シマブ・ベデルカーン
2014年/シリア,フランス/96分/テレザとサニー/DCP
7月30日(土)〜8月05日(金) |
15:50〜17:25 |
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8月06日(土)〜8月12日(金) |
19:40〜21:15 [レイト] |
一般 | 大専 | シニア | |
通常 | ¥1,800 | ¥1,500 | ¥1,000 |
会員 | ¥1,500 | ¥1,200 | ¥1,000 |
一般 | 大専 | シニア | |
通常 | ¥1,500 | ¥1,200 | ¥1,000 |
会員 | ¥1,200 | ¥1,000 | ¥1,000 |
亡命先のパリで、故郷シリアの置かれた凄惨な実状に苦悩し続けていたひとりの映画作家、オサーマ。苛烈を極める紛争の最前線で繰り返される殺戮の様子は、日々YouTubeにアップされ、ネット上は殺す者、殺される者双方の記録で溢れかえり、シネアストはただただそれを繋ぎ合わせることしかできない。そんななか彼は、SNSという深海で、クルド語で“銀の水”を意味するシマヴという女に出会う。破壊されつくされ、惨澹たる戦場であらゆる映像を撮り続けるシマヴは、彼を“ハヴァロ”(クルド語で「友」の意)と呼び、罪悪と無念の中に沈み、溺れかかった男を、命の源に引き戻していくのだった…。
「ハヴァロ、もしあなたのカメラがシリアにあったら、何を撮る?」――
シマヴは監督オサーマの耳目となり、カメラを廻す。その瞬間からふたりの“映画”と、そして“シリア”と、あるいは“愛”の物語が始まっていく…。
2011年春。アラブの春に始まった民主化運動はシリアにも押し寄せ、42年続くアサド独裁政権への不満と自由を求める声が市民の大規模なデモとなって渦巻いていく。やがて政府軍による一般市民への弾圧は、瞬く間に凄惨の限りを尽くす拷問と虐殺の暗黒の時代へと様相を変えていくのだった。しかし映画は夥しい犠牲者と戦場を捉えるドキュメントにはとどまらず、その個々の死に刻まれた深い傷とともに、絶望の中に普遍の愛を見出していく。
『ヒロシマ・モナムール』から『シリア・モナムール』へ。人は誰もが“愛”も“戦禍”も免れることはできないということを突き付ける、今世紀最も重要な衝撃作の誕生である。
【『ヒロシマ・モナムール』『街の灯』『どですかでん』…。
戦火の中オマージュされる映画が、1001の映像と結びつく瞬間――】
2014年カンヌ国際映画祭で称賛を浴び、2015年山形国際ドキュメンタリー映画祭でも、観客に深い衝撃を与えて≪優秀賞≫を受賞した『シリア・モナムール』が公開される。
本作はシリア内戦の事実を白日の下にさらすと同時に、映画や音楽、小説、絵画などがオマージュされていくという稀有な映像表現がなされる。そこでは豊饒でかけがえのない
日常が、非日常な暴力により、いとも簡単に覆されることの恐怖を尽きつけてくる。
とくに『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』(59)は映画のひとつのモチーフ
ともなり、ヒロシマとシリアとが時空を超えて、廃墟と化した都市という酷薄なイメージを介して結びついていく。しかしそうした名作と同等に、シリアの人々=わたしたち人間が撮影した“1001”の映像は、オマージュされる寓話『千夜一夜物語』のごとく、終わらない夢のように同じ地平にさらされる。拷問をする男、虐殺される子供、尊厳を奪われた死体、そして顔を半分失った猫。シリアからの阿鼻叫喚を伝える映像は、人間がどちらの立場にもなりうる恐ろしさを伝え、しかし一方で、魂に触れるような映画や音楽を創造しうるわたしたち人間を賛美する。カメラを持たない映画作家が、シマヴという愛の希望を見出し、1001の映像から自らの眼で選択し、ストーリーを構築した21世紀のシネマヴェリテ。1001の眼は、やがて、わたしたちの眼そのものであることへの気づきとなっていく。
時空を隔てたふたりの映画作家オサーマとシマヴは、映像による内省的な、あるいは“愛”の対話を積みかさねることで、崇高で切実な新次元のドキュメンタリー映画を誕生させた。そこでは、Facebookのメッセージの受信音も、レコードから流れ出すエディット・ピアフの『愛の讃歌』もみな、等価な美しい響きを持って迫ってくるのである。
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