公式サイト: https://shiromi-movie.com/
日本の古層に秘められた星への祈りと、星のように生きる神楽の民を追ったドキュメンタリー【終映日:2022年11月11日(金)】※1週間限定上映
【監督】赤阪友昭
2021年/日本/113分/映画「銀鏡 SHIROMI」製作委員会/DCP
11月05日(土)〜11月11日(金) |
15:10〜17:10 |
---|
一般 | 大専 | シニア | |
通常 | ¥1,800 | ¥1,500 | ¥1,200 |
会員 | ¥1,500 | ¥1,200 | ¥1,200 |
凍てつく冬の夜、太鼓と笛の音が山里から聞こえてくる。奥日向にある神楽の里、宮崎県西都市銀鏡。夜空に瞬く星のもと、500年以上前の古より伝わる「星の神楽」を舞う人々がいる。祈りは星々に住まう神々へと届けられ、宙からこぼれた物実(モノザネ)が、やがてこの地を恵みで満たす。
銀鏡、
そこは今も
神聖なる自然と人が
一体となって
存在している場所。
【STORY】
映画「銀鏡 SHIROMI」には、二つの時間が流れている
ひとつは、銀鏡の自然に流れる悠久の時間。春の訪れを告げる山の花々、山肌を流れる清らかな水、森に住まう動物たち。山の恵みを感じながら、宙を見上げれば、「夜空には星々が降りそそぎ、銀河の時間すら感じることができるだろう。
そして、もうひとつは神楽の里に生きる人々の一年。限界集落の村で、柚子や唐辛子を生産し加工までを担う会社をつくることで雇用を生み出し、村に住み続けて神楽を守ろうとする銀鏡の人々がいる。彼らは20年以上にわたり、山村留学を通じて人を育て、学校を残してきてもいる。決して未来を諦めず、今という時間をひたむきに生きる彼らの暮らし、そこには自然に軸をおいた人々の謙虚で真摯な営みの時間が流れている。
そんな銀鏡の里では、一年に一度、この二つの時間が邂逅するときが訪れる。それが星の神楽、「銀鏡神楽」だ。銀鏡神楽は、神々の舞を通して星への祈りを捧げる。あらゆる命の源は、星々の住まう宇宙にある。私たちの存在が、そもそも星のかけらからできているという本質を知っているかのように、銀鏡神楽は宇宙の摂理を内包している。そして、神楽の舞を捧げる銀鏡の人々は、それぞれが光り輝き、互いの関係性によって世界をつくろうと懸命に生きている。そんな彼らの生き方は、今の私たちではなく、未来の子供たちの世界がどうあってほしいのか、千年先の世界を想像して生きることの大切さを教えてくれる。
20年ほど前のこと、友人から「すこし変わった神楽を観に行こう」と誘われたのが銀鏡との出会いでした。当時はまだトンネルもなく、曲がりくねった道を山の奥深くまで走らなければならず、銀鏡の山村は辺境の地に感じたものです。毎年12月の中頃に催される銀鏡神楽は、北極星を祀る星神楽からはじまります。その神楽には、星々を生命の縁(よすが)とする古代アニミズムの祭祀が色濃く残されているように思えてなりませんでした。外神屋とよばれる舞殿の祭壇には、神への供物として猪の生首が捧げられ、縄文的な信仰の気配も感じました。
その後、時間をかけて銀鏡に通い、何度も神楽を体験するうちに、彼らの神楽がどれも星々とつながり、それによって宇宙の運行を刷新することで冬至の太陽神を再生する儀礼であることが見えてきました。星を信仰する儀礼は世界の様々な場所でも見ることができます。
たとえば、ハワイの神に捧げるフラの踊りの原点も星にあります。フラの世界観では、魂の依り来るところ、還るべきところはプレアデス、昴だといいます。声を発し、共鳴させ、そのバイブレーション(振動)を踊りで天空の星へ届けるのがフラの役目であり、祈りの形だというのです。
この世界と繋がるための私たちの祖先が繋いできた最も大切な感性が、銀鏡神楽という祈りの形、音と舞に残されているのではないでしょうか。
そして、銀鏡神楽の祝子と呼ばれる人たちの佇まいは、「感謝」という祈りの在り方を私たちに教えてくれます。森羅万象の中に自分たちの居場所を整え、しかし、やがていつかはその場所を自然に明け渡すことを覚悟した生き方をしようとする銀鏡の人たち。それは「諦観」ではなく、「受容」であり、「感謝」です。人にも土地にもいつも誠実であること、ただあるがままそこに生きること。それは、宇宙の中で生まれては消えていく数多の星の存在そのもののようです。そんな彼らと彼らの星神楽にぜひ会いに来てほしいと願うのです。
赤阪友昭(監督)
(C)映画「銀鏡 SHIROMI」製作委員会
月例イベント
ブログ