化学物質過敏症の早苗さんは、近所のゴルフ場の農薬散布で息ができなくなり、母と二人で呼吸できる場所を探して車で旅にでる。しかし農薬や排気ガスで発作を起こし、旅は困難を極める。二人が辿りついたのは標高千メートル地点でのテント生活。しかしそのテント生活も安全ではなかった。また大阪の入江さん一家の長男紘司さんと次男茂弘さんは、学校の無理解から重症の道のりをたどることになる。
このドキュメンタリーの主人公早苗さんは、自宅の新築でシックハウスになった後、近所のゴルフ場の農薬散布で化学物質過敏症を発症しました。しかし病名がわかるまで6年かかり重症になってしまいました。
そして ある日突然、お鍋から食器から食べ物から全てに拒絶反応が起こり、水が一滴も飲めなくなったのです。水が飲めなくなって4日間、脱水症状があらわれはじめました。こんな時、普通の病人だと救急車を呼んで病院で点滴ですが、この病気は化学物質だらけの救急車にも乗れないし消毒液や化学薬品が充満している病院にも行けません。母道子さんは、専門医にどうしたらいいか問い合わせましたが、専門医の答えは「浄水器を替えなさい」でした。だが浄水器を替えても上手くいかず、途方に暮れたといいます。その後、自然食品屋さんに次から次へと電話をし「娘が口にできるものはないかと」たずねました。そして十何件目で「うちに無肥料で無農薬の林檎があるから、試してはどうか」と言われ、その林檎を手に入れ、早苗さんの身体の中に林檎の水分が入り、生命の危機から脱することができました。その林檎が木村さんの林檎だったのです。
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